· 

『果実の舟を川に流して』~畏愛すべき鷺沢萠

 高校時代、作家になりたかった。いい子路線で、就職も考えて、大学は法学部を選んだけれど、なりたかったのは作家で、ホテルに缶詰にされて、ドアの隙間から編集者に原稿を渡すだけで、引き籠もれる生活に憧れていたわけです。

 

 

 どの作品もすごいんだけど、その中でも、一番、才能というものを痛感させられたのが、この『果実の舟を川に流して』なのであります。1989年の『新潮』12月号発表、鷺沢萠21歳。21歳でこれを書かれてしまった日には、もう、ねぇ…。

 鷺沢萠、彼女の作品を読んだとき、完全に諦めがついたのです。だって、世界の広さが違うもん。東京都とは名ばかりの片田舎で育った私には、そんな世界、身近になかったもん。しかも、言葉選びのセンスのレベルが違う。絶対的な才能の差を認めざるを得なかった私は、そこで創作活動を断念したのです。受賞こそできなかったけれど、芥川賞候補に4回もなるくらいの人と、自分を比べるなんて、おこがましいにも程があるってのは、後の話。

 

 今でもこの作品が色褪せないのは、訳があります。

 

「この町は幾つもの層を積み上げてできているようである。高い低いの問題は別にしても、半分に割ったらきれいな断層でも見えそうに、この町がだんだらの縞模様の層によって成り立っていることは間違いない。」

 

 そうなのだ。同じ町にいて、同じ電車に揺られていても、「違う世界」の人間のことは分からない。

 私は流されるままに、いろいろな「世界」を見てきた。見てきた私には理解できることが、見ていない人間には分からないということが分かった。それは、会社ごとの違いであったり、生活レベルの違いであったり、そもそも、違う世界が存在していることすら、よく分かっていない人が多い。私の現在の所属は、スーパーでの食品の値段に一喜一憂する、いわゆる庶民レベルだけれど、そんな生活に対して、トンチンカンな政策を立てる政治家には、そんな世界の存在すら、よく分かっていないのだと言える。

 

 そして、この作品は、横浜中華街のそばの小さな店をメイン舞台にして、多層の違う世界を示しながら、登場人物の国籍は様々でワールドワイドだし、さらに空間も時間も広がり、ベトナム戦争にも及ぶスケールを持つ。これは書けないよ…。

 

 もう一つ。登場人物の設定がすごいのは間違いないんだけど、その登場人物に対しての作者の目は、あくまでも客観的でありながら、それでいて優しい。 

「割れてしまったグラスはそれが寿命だったのだとあきらめることができる。けれど少なくとも透明に光る部分を残したふちのかけたグラスは「たまンない」のだと、(中略)―割れちゃった方が良かった……。その呟きに健次は深く頷く。けれど自分自身に対してそう言ってしまうことは、やはり健次にはできないのである。」

 

 欠けないのが一番いい。いっそ、割れてしまった方がいい。けれど、欠けてしまったら…。でも、欠けてしまっても…。ああ、生きていくって、そういうことなんだよね。

 

 もしかしたら、この作品の良さは、普通に、いわゆる真っ当な世界だけで生きてきた人には分からないかもしれない。それぞれにすごい背景がある登場人物たちは、まさに別世界の人で、そんな存在を現実感を持って見ることはないのかもしれない。

 でも、私にはこのフィクションの向こうのリアルが生々しいほどに見えた。

 

「今日も生きなきゃ」。私が書きたくても書けなかった世界を、こうして読ませてくれた彼女に、畏敬と、一方的友情を感じるのであります。