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Official髭男dism『Pretender』~非婚時代の切ない「大人」のラブソング


TV(新聞もだけど)のニュースは都合の悪いことは報道しないし、見ていると気分が悪くなるし、連続ドラマは不規則な仕事だから見ないし(うちには録画機器がない)、バラエティーもなんか時間の無駄に思えるということで、特別に見たい番組がない限り、普段あまりTVを見ないのですが、実家では母がほぼTVつけっぱなしの生活をしているので、年末年始は結構、普通にTVを見ていました。まあ、高齢者世帯なので、一緒に見ていたのは、レコード大賞と紅白歌合戦くらいです。

紅白歌合戦は、AI美空ひばりの他、どんなパフォーマンスをするのか気になる欅坂46、やっぱり、これを見ないと大晦日感がない石川さゆりあたりは外せなかった訳ですが、氷川きよしとMISIAはすごかった! 特に氷川きよしは、「往年の小林幸子もビックリ!」の巨大装置で、やっと本人がやりたいことをやれたという解放感と喜びが伝わってきて、「良かったねえ」と声をかけたくなる気持ちになりました。

視聴率としては低下している紅白歌合戦ですが、これは、その年にヒットした曲から選ぶ、つまり、ヒットが出て紅白歌合戦に出場できた、それで、紅白歌合戦で歌えるってことだけで価値のあった時代と異なり、歌手で選ぶ、その歌手も紅白歌合戦に出たがらなくなっているのもあるし、選ぶ基準も何となく「大人の事情」が見え隠れしてどうなのか、という問題も絡んでいるように思えます。しかも、昔ならただ歌えばそれで良かった(そういう意味では、石川さゆりが昔の紅白歌合戦の典型とも言えますね。その年のヒットがなくても、『津軽海峡・冬景色』か『天城越え』だけで、紅白歌合戦を成り立たせてしまいますから。その観点からだと、他の演歌歌手の弱さが顕著になります。坂本冬美も悪くないけど弱い。島津亜矢に至っては歌は上手いのだろうけど、過去に出演経験のある中島みゆきの『糸』は、どうしたって本人歌唱が期待される訳ですし。)のが、今は、視聴者の要求レベルが高くなっているので、「せっかく紅白歌合戦のステージなのだから、やはり見応えのあるパフォーマンスを」ということになっていると思うのです。だから、氷川きよしもそうだし、MISIAのステージも「紅白歌合戦の特別感」があったからこその高評価だと思われます。

 

さてさて、で、今さらながら、去年の大ヒット曲の『Pretender』を聴いて、「これは、いいぞ」と思ったので、年始最初のブログにした訳です。(先月のHPのレポートを見たら、アクセスが多かったブログが「神社にも相性がある」「夏井いつき句会」「AI美空ひばり」でして、筋トレや食生活ネタは同業者がたくさん書いているんで、そっちは割とどうでもいいらしい。でも、たまには書かないと何のブログが分からなくなるので、たまには書きますが。)

で、この『Pretender』ですが、ちょっと懐かしい感じすらする王道の親しみやすいメロディラインと、表情のある伸びやかなボーカルについては、あれこれいうべきでもないと思うので、ここでは歌詞について考えたことをレビューのメインとします。 大ヒット曲ですし、韻を踏みながらも「はぐらかし」感のある言葉の選び方ということで、すでに歌詞の内容についての考察もいろいろされていて、特に阿部幸大さんの「同性愛から読み解く」という文はなかなか面白かったです。

この曲は、映画『コンフィデンスマンJP』の主題歌で、「信用詐欺師」ということからも、「ふりをする者」というのはそれに相応しいタイトルであり、当然、ある程度その内容を踏まえての歌詞ということになります。なので、決めフレーズの「君は綺麗だ」では、どうしても長澤まさみの笑顔が浮かんでしまうのは仕方ないこととして、それを思い浮かべながら、考えてみました。

「ふりをする」ということだと、まず思い浮かんだのは、話題のファミリーロマンス社の代行業(関係者、読んでくださっていますか?)。インスタ映えのための友人、仲間の代行あたりならかわいいものですが、なかなか切なくなる重い代行もあり、守秘義務もあるので、そのままは書けませんが、東京で一流企業に勤めて出世していると田舎の親に嘘をついていたので、親の葬式に会社の総務部長としての代行を頼んだり、さらに規模が大きいものでは、偽装結婚式で、自分(新郎)とその親族だけが本物で、新郎の会社関係者、学生時代の友人はもちろん、新婦を含めて新婦側は全て代行とか。でも、それ、依頼者の気持ちはすごく分かる。私の実家も中途半端に「田舎」なんで、いろいろうるさいんですよ。

それで、打ち合わせから入っている新婦役の女性を好きになっちゃったとかありそうだし、そういうシチュエーションからこの歌詞を読むと、そういう感じにも思えます。代行業者に頼まなかったとしても、たとえば、キャバ嬢に同伴と合わせて、ちょっとお芝居してホテルのロビーで親に会ってもらうとかはありそう。「ふりをする」って点では、キャバ嬢に限らず、疑似恋愛としての水商売関係、女性から見たらホストとかも、当てはまりそうですね。

 

ちょっと話は逸れますが、この前話題になっていたすみだ水族館の恋愛相談が面白かったです。恋のお悩みに「ホストに恋をしてしまいました。1000万円使っても、好きになってもらえません。どうしたらいいでしょうか…」とあったものへの回答「ホストとお客さん、魚たちと飼育スタッフの関係って似てる気がします。私たちは愛情をもって魚たちのお世話をしていますが、魚にとって私たちは『ゴハンをくれる人』と認識されています。それでも私たちは一生懸命お世話をします。好きだから。要するに見返りをもとめてはいけないということですね。」と。しかも、回答したのが、クラゲ係さんですから。

 

さて、話を戻して、たとえばキャバ嬢との疑似恋愛として考えた場合、主人公本人に問題がなければ、全く「なし」にはならない訳でして、そうすると、主人公側にも何か事情があって、告白できないってことが想像されます。究極的には、主人公が「既婚者」ってパターンもあるかとは思うのですが、これも、「離婚」してしまえば済む話(もちろん、「離婚」にはそれなりの「パワー」が必要なんで、おいそれとはできませんが)。それと、何となく主人公のキャラクターがいい人なんだけど、ちょっと優しすぎて気が弱い感じもするので、そうすると、「飛行機の窓から見下ろした」とかあるから、地方の「名家」の跡取り(それで、親がかなり封建的でやや毒親っぽい)とか、もっとドラマチックにすると、逆に親族に障害者がいるとか親が要介護者とか、もっと極めると近い親族が犯罪者とか、そう、彼女に向かって「君を幸せにします!」とは、全くもって言えない環境とかが想像できてしまいます。「今時、結婚は本人同士の問題でしょう!」と言えるのは、相当都会の自由な家風だからであって、地方の封建的共同体というのは根強いんですよ。うちの実家周辺を見ていると、とてもよく分かるので。

そんな状況を仮定しながら、歌詞を読んでいくと、あながちこの仮定、間違いでもないように思うのですが。教科の国語として、論説文を読むときには繰り返される語句や文から主張を読み解くことになりますが、歌詞では、繰り返されるフレーズだけでは抽象的で分からない場合、それに加えて「ヒント」を探すことになります。その「ヒント」になるのが、2コーラス目のAメロと、繰り返されているようで微妙に変えてきているところにあることが多いのです。そこに着目すると、「誰かが偉そうに 語る恋愛の論理 何ひとつとしてピンとこなくて 飛行機の窓から見下ろした 知らない街の夜景みたいだ」と「いたって純な心で 叶った恋抱きしめて 『好きだ』とか無責任に言えたらいいな そう願っても虚しいのさ」、さらに「永遠も約束もないけれど『とても綺麗だ』」のラストも。「(自由な)恋愛の論理」は「知らない街の夜景」であり、「好きだ」とか無責任であるということになります。どうですか? これは、そういう意味では「社会」と「己の立ち位置」を知っている「大人」の切ないラブソング、「好きだ」と言うことさえ叶わない、その代わりの精一杯の言葉が「君は綺麗だ」であるラブソングだと思えるのです。

 

もっと言ってしまえば、かつて「妻」が「家内」であった時代の価値観を引きずったまま、男の甲斐性だけでは「一家」を支えられない社会において、女性からの「あなたとなら、どんな苦労をしてもいい! 一生側にいたい! 結婚して!」という言葉を待つしかない非婚時代の「恵まれない男」たちの潜在的共感があるからこそのヒット曲ではないでしょうか?

 

 

というところを、『Pretender』への私なりのレビューとします。

本当は、去年後半からじっくりと書いては加筆修正している別の歌手の曲があるのですが、これが、年始に相応しくない、絶望的な気持ちになるものでして(書いている本人が死にたくなる)、後回しにしております。これは、近々に(と言っても、恒例の税務署提出書類作成に苦しんでいる1月、それが無事に終わったとして、いつになるか?)完成させてアップする予定ではあるのですが、これとあと2曲で、おそらくこのシリーズの「暗黒の絶望三部作」になりそうですので、予告しておきます。 

 

遅くなりましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。