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AI美空ひばり『あれから』~「極醸」のラブソング・秋元康の恋文

美空ひばりの新曲。未配信であるし、当然CD未発売である。何しろ、ご本人はすでに30年前に亡くなっているのだ。生前の美空ひばりの歌のデータをAIに学習させ、ボーカロイドに歌わせるという「企画」で、先日、NHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」で披露された「新曲」である。

ディープラーニングという手法で、楽譜と美空ひばりの声の相関関係を学習させ、それでも、学習しきれない部分、高次倍音や音程のずらしの癖などは、人間が分析しヒントを与えて、そして作られた声の再現率は非常に高い。番組中で『Let It Go~ありのままで~』の一部を歌っていたが、本当に美空ひばりがカバーしたら、こんなふうになるだろうという仕上がりであった。美空ひばりの声の出し方の「癖」をよく再現し、特に低音の響かせ方は、よく特徴を捉えている。

 

肝心の楽曲であるが、メロディはそこまで難しいものではない。ミディアムバラードの王道で、ゆったりしたAメロ、符割りを細かくして変化のあるBメロともに、美空ひばりの低音がしっかりと感じられる音域。そして、サビも無理のない中高音がメインで、美空ひばりの言葉としての「声」が活きるようになっていて、ラストのファルセットもいかにも美空ひばりらしい歌い上げができるようにしてある。美空ひばりの曲は、数々の印象的な曲がある。(A面としての)デビュー作『悲しき口笛』もそうだし、『真赤な太陽』『人生一路』『愛燦燦』と、それぞれ良さがある。だが、私の思う美空ひばりの傑作といえば、生前最後の対照的なシングル2曲、『みだれ髪』と『川の流れのように』である。それと比べると、メロディはやや軽め。ポップスよりで、たぶん、美空ひばりが生きていたらやりたそうな親しみやすい曲である。アレンジも、奇をてらうこともなく、どこか懐かしさを感じさせる歌謡曲の王道という仕上がり。ボーカルを活かすためには、このくらいでちょうどいい。

が、秋元康先生、本気になると、「さすが!」につきる。そこに、いい感じに歌詞を乗せて、しかも、途中の語り「あなたのことをずっと見ていましたよ。頑張りましたね。さぁ、私の分までまだまだ頑張って」(これは、ファンにはもちろん、加藤和也氏にはたまらないだろう)を入れるあたりも憎い! 美空ひばり復活アルバムのラストに入れるべき、名曲に仕上げた。

もちろん、AIってことは頭では分かっているのだけれど、私、最後のサビで転調し音上がったところで、涙が零れた。素晴らしい楽曲だった。欲を言えば、レコーディングじゃなくて復活コンサートってことだし、おそらく美空ひばり本人であれば、3回ある「あれから」はすべて歌い方を変えてきて、ラスサビの「あれから」の「から」は、お客様に語りかける感じを強調して、少し抜いたフラット気味にして、フォールさせてくるだろうと思う。そして、制作チームが試作品を聴かせたところでのファンや秋元康の反応から気がつくように、音程が正確だけでは、「表現」が乗らない、微妙な音程の「ズレ」でこその言葉というのも、「人間の歌」の深さを改めて思わされた。

映像として映された森英恵の衣装は、まさに「天国から降りてきた美空ひばり」のイメージにぴったりだ。CGの映像の再現は今一つの出来のような気がするのだけれど(振り付けは天童よしみで、「ひばりさんに似せた」とは言うけれど、美空ひばりの方が手の動かし方の速度に変化がある。あとは、口の開け方も)、もう、声だけで十分。晩年の美空ひばりの押しつけがましくないのに、深く心に響く歌声だった。ライブというよりは、優等生に歌うレコーディング音源としては、まさに「こんな感じ!」であろう。

 

まあ、これだけでは単なる感想になってしまうので、秋元康が見事に乗せてきた歌詞を分析。

一見すると、若いころに別れた恋人を思わせる感じである。主人公は、恋愛よりも仕事を選んだ女性だろうか、そこが美空ひばり本人と重なる。ちょっと違うんじゃないかと思わせる「生まれたときから追いかけてきたのは母のその背中」も、美空ひばりの前半生と、その後、加藤和也氏を養子に迎えて彼女なりに「母」となろうとしていたことを連想させる。あるいは、「聖母(はは)」かもしれない。

そういう点でも『川の流れのように』と対になる歌詞である。『川の流れのように』が、自分をメインに「愛する人そばに連れて」と振り返っているのに対し、『あれから』は愛する人から離れながらも、その人を見守り、問いかけながら自分を振り返るという形、共通性と対照性と言えよう。

そして、サビの歌詞、特にサビメロを使っている「なぜだか涙が止まらない 心がただ震えています」を含めて、歌っているのは美空ひばりなのだが、この言葉は「聴き手」の思いそのものである。歳をとるはずのない美空ひばりの「私も歳をとりました」は、「生きていたら」の仮定であると同時に、まさに「生きている」聴き手その人の感慨である。だから、聴き手との共鳴性が非常に高い。サビ部分全部それだとやり過ぎで、「美空ひばり」の歌ではなくなってしまうので、2コーラス目のサビ「あれから元気でいましたか 随分月日が経ちました 何度も歌った歌をもう一度歌いたくなります」で、今回の企画に寄せている。

だが、美空ひばりのファンや知る人とだけの世界ではなく、普遍性も同時に合わせ持たせて、それ以外の人が聴いても「いい曲」に仕上げたのは、やはり秋元康の言葉の選び方だろう。生別死別を問わず、長く会っていない人、会えない人に対するメッセージだけでなく、過去を振り返りながらも、明日、未来への希望を綴った歌詞、過去と未来のバランスもいい。「後悔さえ美しい」と、時代を生き抜いた彼女だから歌える言葉、そこに、「生きるというのは別れを知ること」「大切な思い出が人生」と、パワーフレーズが並ぶ。それが、美空ひばりを知らない人々にも伝わるこの曲の良さになっている。

 

が、秋元康の秋元康たる所以、もちろん、仕掛けがない訳ではない。「振り向けば幸せな時代でしたね」がポイントだろう。気がつけば、美空ひばりの年齢を超えて生きている秋元康の、美空ひばりが生きた「昭和」という時代、それに対する思いを詰めた「締め」である。世の人々が、社会そのものが、ただがむしゃらに頑張っていた当時には分からなかった、今、振り返ってみて分かる「幸せな時代」ということではないだろうか。だから、「あれからどうしていましたか。私も歳をとりました。今でも昔の歌を気づくと口ずさんでいます」というのは、本当はシングルになるはずではなかった『川の流れのように』を最後のシングルとして選んだ美空ひばりへの秋元康の、天国への「ラブレター」なのかもしれないと思えるのだ。 

当日、客席で見ている加藤和也氏は涙が溢れるのを堪えることができず、天童よしみも涙を拭っていた。森英恵氏も、その「美空ひばり」の姿に感慨を抑え切れない様子であった。もう一度聴きたかった「美空ひばり」の復活した声に対しての素直な反応だったと思う。

が、食い入るように見つめる秋元康の表情は、少しだけ違って見えた。美空ひばりのために書いた曲、出来は素晴らしいし、確かに美空ひばりの「声」は完成度の高い再現だった。けれど、本物の美空ひばりだったら、この新曲にどんな気持ちを込め、それを表現していっただろうか。彼女本人の「曲の解釈」に基づく歌唱は、歌い方を学習しただけのAIには、残念ながらなしえない。秋元康の目線の先は、きっと「本物の美空ひばり」が自由自在に歌いこなしている姿と歌の空想があったように思える。

 

このAI美空ひばりの『あれから』は、すでにCD化や配信の要望も多く、年末の紅白歌合戦で再現をという声もある。おそらく、加藤和也氏は「No」とは言うまい。けれど、プロデューサーである秋元康が、「本物の」美空ひばりの歌唱ではないこの曲を、美空ひばりの作品として正式に世に送るかは疑問である。

とはいえ、楽曲はいいんだよなぁ。放送で見て泣いた後、なかなか眠れず、朝起きてから、また何回も繰り返して聴いてまた泣きまくり、一日腫れぼったい目をしていた私としては。

 

「私も歳をとりました」

 

 

追記

一度、記事をアップした後、この曲が、美空ひばりを前提に作られているのは確かなんだけれど、それを抜きにして普通に「曲」としてみたらどうなのかを考えてみた。

長い間寝かされて、熟成されたウイスキー、ワイン、そんな感じのラブソングだと思った。角が取れ、深みが増す、醸造のなせる、そんな味わいの「大人のラブソング」だ。

 

愛しい人よ

あれからどうしていましたか

私も歳をとりました

今でも昔の歌を気づくと口ずさんでいます

 

って、この年齢でそんなこと言われたら、イチコロである(そんな相手はいないが)。

人生の酸いも甘いも越えてきた、いい歳のオッサンにだからこそ分かる、「極醸」の味わい、やっぱり「すげえわ、この曲!」

 

ということで、タイトルを少し変えました。

 

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