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夏井いつき「句会ライブ」町田~後編


さて、いまさらですが、俳句は上五・中七・下五の17音が基本です。そして、季語。季語は5音くらいのものが多いので、12音で対象を書き、そこに雰囲気を伝える季語を取り合わせることになるのが基本形ということになります。例えば、季語が「桜咲く」「桜舞う」「桜散る」とちょっと変わるだけで、全体のイメージがずいぶん変わってきます。

 

そして、言い訳。『枕草子』の中にこんなくだりがあります。

同僚たちとホトトギスの声を聴きに出掛けた清少納言ですが、せっかく聴いたにもかかわらず、いろいろありすぎて和歌を詠みそびれて帰ってきました。中宮定子から「それで、和歌は?」となりますが、またしてもドタバタ、雷まで鳴る騒ぎに詠みそびれます。うやむやにできたと思いきや、その二日後にまた蒸し返されるのです。それでも、結局まともな和歌を詠まなかった清少納言はこのように言います。

「歌は一切詠まないことにしているので、『詠め』と言われたらお側にお仕えできないような気持ちになります。もちろん、文字数が違うとか、春に冬の、秋に梅の花のを詠んだりはしませんけれど、『歌詠み』の子孫として、少しはいい歌を詠んで『あのときの歌は、これが良かった。そうは言っても、あの歌詠みの子孫だから』と評価されれば、詠む意味もあります。でも、全然たいしたことないのに、いかにもそれっぽく他の人より先に得意げに詠むのは『歌詠み』と呼ばれた死んだ父が気の毒です。」

ちょっと解説すると、清少納言の父清原元輔は下級官僚から地方廻りをしていた役人だったのですが、和歌については、今でいう諮問会議に呼ばれるくらいの文化人枠の歌詠みであって評論家でもあったのです。さらに元輔の祖父深養父も古今集などに選出されていて、百人一首にも元輔、深養父ともに入っているというお家柄。

 

これ、すごい分かる! その通りなんです。私も俳句の文字数は知っているし、お題からずれた場違いなものは作りません。もちろん、家柄は全然ですが、一応高校で文芸部、高校生に国語を教えていたということもあって、ちょっとはましな俳句が作れればどんどん作句するのですが、残念ながら創作力は取り立てて優れてはいない自覚はあります。

いい和歌、いい俳句とは何かとなるのですが、これが難しい。当時は「私、こんなの知っています」と、古い和歌や漢文の知識をさりげなく見せて教養のあるところが出せると評価が高くはなりました。清少納言も和歌の家柄ですけれど、それだけでは当然となりますから、漢学、史記や白氏文集などの知識を活かして当意即妙に詠むことはいろいろな場面でやっています。百人一首に選ばれた「夜をこめてとりの空音ははかるともよにあふさかの関はゆるさじ」も、史記の故事から詠んでいますね。

でも、本当に優れた、心に残る感動ものは違うと思うのです。この時代の女性歌人と言えば、和泉式部ですが、紫式部はこのように評しています。

「ちょっとした言葉選びは優美だし歌は趣があるけど、知識や理論をちゃんと分かってるのではないから、『真の歌人』じゃないし、私が恥じ入るほどの立派な歌詠みじゃないわ。」

でも、和泉式部の歌は時を超えて伝わってくるものがあると思うのは、私だけでしょうか。

 

  あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな

 

(雰囲気意訳 あたしはもう死んじゃうんだろう…。この世からあの世へ、その思い出に、無理だと分かっているけど、もう一度だけ会って抱かれたいの!)

 

絶唱ですね。百人一首に選ばれたこの歌、愛に生きた女のなりふりかまわぬ絶唱です。理論も知識も関係なく、自分の思いを叩きつけたこの歌こそ、感動だと思うのです。

こういうのを作るのが、私は苦手です。肩に力が入り過ぎているのも分かっています。で、取り柄のない俳句を得意げに作るのは、出身高校や教え子たちに申し訳ないと思う次第です。(大学は一応法学部なので、迷惑をかけなくて済むのがちょっとは救いですが。)音を外しまくっても笑顔のままの新田恵利と、音が外れる度につらそうな顔になる安田成美、評価と売上はともかく、見ていて辛いのは安田成美の歌う姿ということを考えても、夏井先生には申し訳ないのですが、やはり私が俳句を作るためには、素直に開き直るための時間が必要なようです。

 

この日の入選7句から私が選んだのは

 

名前入り歯ブラシ捨てて春の雪

 

です。名前を書いてある歯ブラシはたくさんの人が集まる場所で使われるもの、幼稚園や保育園で園児たちが持ってきている歯ブラシには名前が書いてあります。春だから卒園で使わなくなって捨てることもあるかと思うのですが、貧乏性な私は、まだ使える歯ブラシなら家でも小学校でも使うと考えました。私が思ったのは病院です。病院で亡くなった患者の歯ブラシなら、捨てることになる。一時帰宅中するはずだった入院中の父が急変して、そのまま亡くなってしまったその時が浮かびました。父が亡くなったのは秋でしたが、「春の雪」には消えてしまう命と、外は温かい季節に向かうのに「なんで?」という気持ちがあるように思えたのです。そして、句評を求められたときに、優れた俳句を作ることはできないけれど、せめてこの会場に来たのだから、何かしら残そうと勇気を出して手を上げました。夏井先生が「そこの若いお兄ちゃん」と指名してくださったので、緊張してうまく言葉になっていないと思いながら素直な思いを言わせていただいて、夏井先生の名刺兼松山市観光施設の優待券をいただけたのです。

ちなみに選考の後に作者の方は「娘が離婚して、その婿が使っていた歯ブラシを捨てた」のだそうで、「古い歯ブラシは掃除に使うのだけれど、それはあまりにもなので捨てた」とのこと。槇原敬之さんの『もう恋なんてしない』の「二本並んだ歯ブラシも一本捨ててしまおう」に近かったので、これは槇原敬之ファンの杉田に言ってもらいたかったですね。

会場の拍手の音量で選ぶ特選に選ばれたのは

 

散骨はセーヌがいいわ春の宵

 

でした。作者からは、ノートルダム大聖堂の火災と友達の遺骨を散骨して欲しいとの話でできた句とのことで、これは会場にご年配の女性が多かったので、審査員を考えて作るという点ではうまいなぁ、と思いました。

ところで、NHK俳句で入選歴があってコンスタントに毎月佳作に入る、小説野生時代他いくつか特選もとったことがある杉田はというと、こちらも入選せず。「即吟は駄目。一晩寝ながら考えないと」とのこと。

終演後は、本の販売とサイン会もあり、長蛇の列。本当に申し訳ないのですが、俳句の楽しみは分かってもまだまだ俳句を作ろうとまでに至らなかったチーム裾野は、この後に期日前投票の予定もあったので、ここで退散しました。夏井先生は一度に何百人と対して、その方々を俳句の山の「裾野」として広げていくのですが、私は一対一でボディデザインの、まさに「裾の尾」を少しでも増やしていくのが役割。俳句は認知症予防に効果がありますが、ボディデザインによる筋トレは寝たきり予防に効果があります。ただ、俳句はキャリアが浅くても突然の閃きでコンテスト優勝があり得ますが、ボディコンテストはひたすら地道な積み重ねで、そういうことはあり得ないのは仕方ないですね。それでも、健康で、同年代よりもいい身体で若々しくいるのは、何がとは言いませんが、いろいろ得することもあるはずです。

 

少ない脳味噌をフル稼働させた後の私は、筋トレ追い込み後のようにぐったり。ということで、ご褒美ディナーは初の焼肉きんぐでした。

 

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