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朧月夜にしくものぞなき~『源氏物語』花宴


月と言えば中秋の名月ということもあって、秋のイメージが強いのですが、どっこい、春の月も負けてはいません。冴え渡る秋の空の月に対して、春は朧月夜ですね。

 

照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき

 

新古今集に撰ばれた大江千里(前に百人一首に撰ばれた「月見ればちぢにものこそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど」で触れました。)の歌です。これも、元は白楽天の「不明不暗朧朧月」からです。

 

これを紫式部は『源氏物語』でちょっと変えて「朧月夜に似るものぞなき」として使っています。この歌を口にしていたのは、光源氏の異父兄(後の朱雀帝)の母弘徽殿女御の妹の六の君です。父桐壺帝主催の桜花の宴の後、深夜に酔いにまかせて弘徽殿を歩いていた源氏が、この美しい声を聞き、彼女をつかまえて朝を迎えます。 この六の君が『源氏物語』で「朧月夜尚侍」と呼ばれる女性です。もちろん、この呼び名はこの歌からつけられています。

尚侍の君は『源氏物語』の登場人物の中で、私が最も好きな女性です。尚侍の君は朱雀帝の女御となる予定でしたが、源氏との関係が発覚し、取り止めとなります。父親の右大臣は、源氏の正妻葵の上が亡くなったこともあって源氏の妻にしようとも考えたのですが、姉の弘徽殿女御の反対と源氏が紫の上を迎えたこともあり、源氏の妻にならず、朱雀帝のもとに内侍司の長官である尚侍(事実上は帝の妻妾)となって仕えます。朱雀帝の寵愛を受けながらも源氏との密会も続き、それが露見、源氏は須磨に流されますが、彼女に対しては朱雀帝は責めることはなかったのです。やがて、朱雀帝が退位し、源氏が戻って冷泉帝(源氏の実子)の元で権勢を振るう時期には朱雀院に従います。朱雀院出家の後、再び源氏との関係を持ちますが、最後は源氏に告げずに朱雀院の後を追って出家してしまいます。

このドラマ、『源氏物語』の数々の線の中でも、秀逸なストーリーだと思うのは私だけでしょうか。危険な相手と知りながら溺れていく源氏、優れた弟に男として勝てないと分かりながら権力を使い彼女を身近に置く朱雀帝、帝の想いを知りながら源氏に恋する気持ちを抑えきれない尚侍の君、まさに政治的背景を含みながらのドロドロの恋愛ドラマの設定です。

そして、朱雀院の出家で自由になったはずの彼女は気がつきます。源氏は確かに最高の男ではあるけれど、自分に一番の愛を注いでくれる訳ではないと。そして、天皇という立場を使って自分を側に置いたとはいえ、源氏との関係を知りながらそれを責めることなく、朱雀帝はただ自分を見つめ続けていたことを。朱雀院から自由になって源氏と再会し、なのに出家するのです。そこに彼女なりの「愛」というものへの答えがあるように思えます。

割と出来すぎた女性が多い『源氏物語』の中で、彼女と六条御息所は生々しい「女」を感じさせる存在です。六条御息所はその答えを出し切れないうちに亡くなってしまい、「女の情念」の恐ろしさを象徴する存在となってしまいましたが、彼女はしっかりと答えを出しました。「愛すること」「愛されること」の価値と意味、千年の時を経てなお、色褪せることのない「人間のドラマ」だと思います。

 

ところで、人間の物語に使うということで紫式部は「似る」に変えましたが、和歌としての響きや意味としては、やはり「しく(及ぶ、匹敵する)」の方が優れている感があります。

 

今宵は朧月。明け方の上弦を控えてほぼ半月ですが、夜半には西に沈んでしまいます。夜明けを待たずに姿を隠すというのも、この朧月夜にふさわしいかもしれません。