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三月三日は、うらうらとのどかに照りたる~『枕草子』の春


都内では、昨日今日に花見を楽しんだ方も多いかと思います。金曜日からの暖かさで、散り始めてしまいましたが、風に吹かれて桜吹雪が舞うのもとても美しいです。

 

さて、花見が桜の花を見るとなったのは、平安時代以降です。万葉集の時代では梅の花が対象でした。もっとも、現在の花見の桜はソメイヨシノですが、当時はまだソメイヨシノはなかったので、山桜を鑑賞していました。山桜は花と若葉が同時に出るので、少し趣は違っているかもしれません。

 

今日は旧暦の3月3日です。

 

三月三日は、うらうらとのどかに照りたる

 

『枕草子』に清少納言がこう書いていますが、この後半に「おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大きなる瓶にさしたるこそをかしけれ。桜の直衣に出袿して、まらうどにもあれ、御せうとの君たちにても、そこ近くゐてものなどうち言ひたる、いとをかし」とあるのが、別の章段「清涼殿の丑寅の隅の」で詳しく書かれています。

 

高欄のもとに青き瓶の大きなるを据えて、桜のいみじくおもしろきが五尺ばかりなるを、いと多く挿したれば… と、長い章段の半ばにあります。この美しい春の日、若き帝一条天皇もおいでになり、中宮の兄伊周もそばに控えています。ここで、中宮定子からお題「これに、ただ今おぼえむ古き言、一つづつ書け」。

お仕えしている女房たちに緊張が走ります。少納言もまだ新人の頃ですから、当然パニック状態になります。上臈の女房たちから廻ってきた色紙に彼女が書いたのは、

 

年経れば齢は老いぬしかはあれど君をし見ればもの思ひもなし

 

この元歌は、古今集の前太政大臣藤原良房が、文徳天皇の后である娘明子を前に詠んだ歌「年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし」です。この「花」は娘を暗喩しています。これをそのまま書いたのではありきたり。そこで少納言は、「花」を「君」に書き換えたのです。「君」は帝と中宮。中宮は帝より4つ年上ですが、少納言は中宮より10歳くらい年上ですから、上の句もしっくりとはまります。もちろん、すぐに中宮もお気づきになり、父関白藤原道隆が、帝の父円融院の前で「潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふやはわが」を「頼むやはわが」と変えて書いたエピソードを語ります。この歌が、本来はこの場にはいなかった道隆が使いたかった歌であることを踏まえた上で、それを帝の父円融院の御前での話題を持ち出すあたり、さすが中宮。

中宮がお認めくださったことで、以後、さらに少納言はのびのびとその才能を見せることができるようになります。

 

さて、このブログで度々書いている古文ネタ、これは、私が昔、高校生に大学受験のための講座で国語を教えていた経験があり、特に平安王朝文学及び中古文法をメインに研究していたことから、思い出すままに書いています。古文だけでなく、現代文、小論文なども担当していましたが、私は、中学生まではむしろ国語は不得意、高校時代も古文は好きではありましたが、得意というほどではなかったのです。ところが、現代文は高校に入ってあることに気がついてから、古文は大学に入って国語を教えることになって一から自分で研究を始めてから、いきなり克服して得意になりました。そういう意味では、運動嫌いが今、トレーナーをしているということにも繋がっているのかもしれません。明日、その国語を教えていた受講生と20年以上の時を経て再会することになっています。