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AKB48『君はメロディー』


2月は逃げると言われますが、本当に早い。ということで、気がつけば三月の上旬も終わろうとしています。ご無沙汰しております。

今年は、インフルエンザはもちろん、風邪をひくこともなく、無事に2月を乗り切りました。トレーニングも順調にしていて、ついついブログかが…(以下、言い訳になるので略)。

久々の記事なのに、またしてもジムネタでなくてすみません。

 

 

AKB48の楽曲において、ポイントとなる曲に共通する世界がある。それは、主人公が少年という世界だ。

 

女性アイドルが男性目線で歌う楽曲は、古くは榊原郁恵さんの『夏のお嬢さん』だろう。太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』『赤いハイヒール』は男女掛け合いで、『しあわせ未満』が男性目線となるが、太田裕美さんのこの曲は、アイドルというよりフォークテイストを入れている感じになる。その後、アイドルとしての松田聖子さん、中森明菜さんは常に女主人公であり続けたが、石川秀美さん『ゆ・れ・て湘南』、菊池桃子さん『青春のいじわる』など、女性アイドルの少年目線で楽曲は少しずつリリースされていく。

秋元康作詞では、おニャン子クラブ関係となるが、関連シングルで少年目線は、リーダーであった福永恵規さんのデビュー曲『風のinvitation』となる。なお、後に秋元康夫人となる高井麻巳子さんのデビュー曲『シンデレラたちへの伝言』も男性目線の詞であるが、実は高井さんのシングルは全曲秋元康作詞ではない。

男性目線の歌詞には、主たるファンとの疑似恋愛関係において、ファンの気持ちの代弁者としての側面があり、その共感度からアイドルとの親近感を持ちやすいという訴求力がある。そして、元々すごくかわいい女性アイドルがかわいさをあえて全面に出さないことにより、同性の反感を避けるというメリットがあることも否定できないだろう。(あまりかわいくないアイドルが男性目線の詞を歌っても、メリットはあまりないとも言える。)

 

AKB48のシングルで少年目線になるのは『会いたかった』が初で、この辺りから、ある程度のレベルになったAKB48に対して、秋元康は本気になったとも言えよう。その後にも少年目線の曲は多数あるが、第1回から第4回総選挙の投票券付シングルと選抜メンバー曲は、少年目線の歌詞で共通する。その中でグループに重要な影響を与えている曲となるのが、『言い訳Maybe』『ポニーテールとシュシュ』『ヘビーローテーション』『フライングゲット』であり、この主人公の少年が成長していく過程が描かれているのが分かる。『言い訳Maybe』では「好きなのかもしれない」、『ポニーテールとシュシュ』では「君と会いたい」「今はただの友達」、『ヘビーローテーション』では「ドンドン近づくその距離にMAXハイテンション」と続く。そして、前田敦子の最終形『フライングゲット』では「君のハートのすべて僕のもの」となる。初期から中期にかけてのAKB48は、普通の女の子であった前田敦子のアイドル成長物語であるのと平行して、主人公の少年も成長していくのである。

 

前置きが長くなったが、AKB48の10周年記念作品で、前田敦子を始め、元神セブンの卒業生が参加した2016年3月9日 リリース『君はメロディー』は、まさにその美しき後日談としての世界である。そう、あの主人公の少年が大人になった。「好きだよと言えず抑えていた胸の痛み」「サビだけを覚えてる 若さは切なく輝いた日々が蘇るよ」「サヨナラに込めた永遠こそ僕の誓い」そこに彼女との物語があった。そして、「あのMusic」こそが、あの頃「ヘビーローテーション」したMusicだったのだ。「なぜこの曲が浮かんだのだろう?突然に」「今の自分に問いかけるようなあのMusic」での答えは用意されてはいない。答えが用意されていないからこそ、大人になったあの少年が何を思い出したのか、それは、聴き手の想像に委ねられ、それぞれの解釈が広がる楽曲になっている。「思い出は時にはやさしい」「きっとどこかで君だって」「口ずさむだろう いつの日にかあの頃のメロディー」。ここには、秋元康が、ともに過ごしたメンバーとそのファンたちへの愛情を込めていると、そんなふうに思える曲である。

メロディ進行は、Aメロが音を飛ばしながら春のキラキラ感を演出し、Bメロはそよ風のごとく、リズムは変化をつけながら音階は割と淡々としている。そのBメロラストに突風が吹いた後に、サビへ、なのである。これも2コーラスが終わった後に、しっかりと巡る想いのようなCメロを作り手が加えて変化をつけた後に、トーンを落としたサビを持ってきて、大サビ、それも、1回で終わらせず、もう一度繰り返すことでぐっと盛り上げているのも、より思い出の切なさと儚さ、そして勇気を伝えるようである。

余談になるが、このMV、大奥(というか、中国の後宮)を思わせる豪華な衣装であるが、衣装による格付けがはっきりとされていることにも注目したい。便宜上のセンターの宮脇咲良は別として、着物を重ねている衣装なのは、前田敦子、大島優子、高橋みなみである。卒業生入場のセンターは前田敦子で、脇を大島優子、高橋みなみが固めるフォーメーションだが、宮脇咲良を囲むのは前田敦子、大島優子のツートップである。美しき後日談のような世界においても、現実の厳しい格付けは存在するという視点で見ると、それはそれで感慨深い。

 

付記

この原稿を読み返して、「サヨナラに込めた永遠こそ僕の誓い」が、どうも引っ掛かってきた。秋元康のことだから、何か暗喩を込めているはずだと、もう一度考えてみた。そして、私なりの解釈ではあるのだけれど、これは、卒業生たちの「永遠のアイドル」になっての「卒業」ではないかと。卒業のときに、それぞれがそれぞれの道を選んで進んでいくことを「誓い」ではないのだろうか。そうすると、難解な2コーラス目の歌詞が何となく見えてくるような気がする。これは、卒業生たちに、秋元康が伝えたいこと。「恋」とは「夢」であり「希望」である。「何を忘れてしまったのだろう? 新しいものばかり探して 今の自分に問いかけるような あのMusic」というフレーズは、秋元康から、卒業後なかなか思うように進んでいけない卒業生たちへ、あのAKB48にいたときのひたむきな気持ちを忘れるな、というエールではないだろうか。「思いがけない未来 眠ってた恋が目を覚ます」とは、そんな想いを込めているのかもしれない。

もう1つ、「ノイズだらけのRadio」を持ち出してきたのは、徳永英明の『壊れかけのRadio』を連想させる。『壊れかけのRadio』の主人公も思春期から大人になっていく。あのRadioは「何も聞こえない、何も聞かせてくれない」ものになっていたが、「ノイズだらけのRadio」は「聴こえてきたんだ 歳月を超え」なのだ。「本当の幸せ」を教えるために。奇しくも、前田敦子は『十年桜』からまさに10年後に母になり(MVで母になったのは、大島優子だったが)、来月には、社会現象とまでなった『恋するフォーチュンクッキー』のセンター指原莉乃が卒業する。48グループの一つの時代の終焉を感じるこの時期に、たった3年前なのに遠い昔のように懐かしく感じるのが、この『君はメロディー』である。