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南野陽子『楽園のDoor』


1987年1月10日リリースの南野陽子初のオリコン1位。

 

前年の岡田有希子のデビュー曲『ファースト・デイト』にも通じる、アイドルのデビュー曲にしては暗めの『恥ずかしすぎて』は置いておいて、セカンドシングル『さよならのめまい』から『悲しみモニュメント』、『風のマドリガル』と『スケバン刑事』関係となり、セカンドシングルになるはずだった『接近(アプローチ)』を挟み、再び映画『スケバン刑事』の主題歌のこの『楽園のDoor』という流れである。この後は、『スケバン刑事』卒業とともに、アイドルらしい恋愛ソングが多くなるのだが、後に最後のオリコン1位となった『フィルムの向こう側』が恋愛ソングでなかったことを合わせると、アイドル南野陽子の「かわいいアイドル」と「戦うアイドル」の二面性を象徴する代表曲とも言える。

 

とはいえ、これまでのスケバン刑事関係の曲も、基本的には「恋」が下敷きになってはいる。が、この曲は、「恋」の要素を極限まで下げ、登場する「あなた」も、単なる恋人ではなく、もっと大きなリスペクトすべき存在として書かれている。

不協和音で始まる、鼓動にも似たイントロ。不安定ながら予定調和にも似た導入に進んで、歌唱がスタート。主人公のいる窓辺にはガラス越しの日差し、そして、外は凍える街並み。世界中は全て他人事の守られた世界に彼女の存在はあった。けれど、彼女はその「楽園のDoor」から出ていく。彼女は、「お嬢様に何ができる」という冷やかな視線とざわめきの中に出ていき、「強い優しさに近づいて」いこうと進み始めるのだ。

ここに出てくる「あなた」は、恋人ではないだろう。『風のマドリガル』で歌われた「聖母(はは)」のように、命あるものは全て限りなく広い優しさで抱きしめる、そんな存在であることを連想させる。そういう存在としての「未来の自分」を思わせるそんな歌詞である。

構成としては、『さよならのめまい』と同じく、わざと一部を欠落させて(3コーラスと思わせて、そこにストリングスメインのAメロと同じ間奏を挟む)という、ちょっとオシャレ感を出しておいて、ラスト前に転調、「新しい靴」で変則導入して、符割りを変えて、コードは同じでも新鮮な感じにしてエンディングである。

かわいいだけのアイドルではなく、そこに「人々への広い愛」を持たせたことで、南野陽子という存在を差別化した名曲である。

 

と、まあ、若いうちからそんなふうに考えていたのだが、歳をとって聴き返して、「あ、そういうことか!」と分かったこともある。ポイントは、欠落後の「青空がまぶしくて 私はこんなに小さくて」である。欠落の後で印象に残るところに、わざとこの詞を置いた意味は、主人公がその時点でそれだけの力を持っていないということである。戦いはまだこれから、そして、歌唱後のアウトロが、それまでに使われていないスケール感のある旋律で、まさに「どうなるか分からない」形。この曲はこれで完結ではなく、その後を問うかたちで終わるのだ。これは、アレンジが見事としか言いようがない。映画のエンディングであっても、物語はこれから始まって続いていくのである。

ついでに、聴き返してみて気がついたことが、もう1つ。なぜ、今、この曲に魅かれているのか。1コーラスめの「人の波にまきこまれて遠回りでもかまわない」、2コーラスめ「人の波に流されないでまっすぐ前に歩けたなら」、そして、ラスト「新しい靴は少しぎこちなくて微かな痛み引きずるけど」に、自らの人生を重ねているのかもしれないかと。 

 

ということで、新年早々、このネタですみません。

年末年始、どうしても身体が弛むので、時間があればジムで筋トレという状態なので、ブログ記事はもちろん、税務署関係の書類も、スタジオのエントランスに置くコーナーラックの組立もやっていません。

明日こそは、ジムでトレーニングの後に、店に籠って書類関係、雑用に手を付けます。

 

本年もよろしくお願い申し上げます。