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今宵は「後の月」 我が身一つの秋にはあらねど


今宵は十三夜。後の月、栗名月とも呼ばれる旧暦9月13日の名月です。十五夜は中国からの伝来ですが、後の月は日本オリジナルの行事。少し欠けている、完璧でないものの美しさを味わうのは、日本人の特性なのかもしれませんね。

地球の公転で、星空は約1ヶ月で2時間早く同じ位置になります。月は毎日0.8時間強遅く、同じ位置にきます。ということで、この後の月の位置は、前の十五夜とほぼ同じ星座を背景とします。同じような背景なのに少し欠けている、季節も進み、夜は肌寒くなってくる頃ですから、そんな感慨に耽る夜ということですね。

 

月見れば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど

 

百人一首にも選ばれた、古今和歌集の大江千里の和歌です。(この名前を見て『格好悪いふられ方』を思い出した方は、私と同世代かと…。) 月見れば、ということで、かぐや姫伝説を連想するならば、八月十五夜の月となりますが、体感的な人肌恋しくなる時期というと、少し欠けている後の月の十三夜の方が合うような気がします。

大江千里という人は、「五月待つ花橘」で上げた伊勢物語の在原業平の甥に当たる人物です。あれ、待てよ、モテ男の血筋が、こんなに淋しげに詠むか?

「我が身一つの秋にはあらねど」は、一般的には「私一人だけに来た秋という訳ではないけれど」と解釈されるのですが…。もちろん、この和歌は、白楽天の、男に先立たれた愛妓の「秋来只為一人長」の漢詩を踏まえてのものですから、悲しいの方が相応しいと考えるのが普通なんですね。

でも、ここはあえて、私はのろけを含んだ和歌だと思いたい。「私一人の秋ではないけれど(=愛しい人と一緒にいる秋だけど)」とか。ついでに、古語の「かなし」は「愛(かな)し」でもあるので、「愛しい人と一緒の一人ぼっちではない秋だけど、(その人と一緒に)月を見ると(その人だけじゃなくて)たくさんのいろんなものをいとおしく思える」というのは、飛躍しすぎですかね?

秋の夜長、誰かと一緒であればもちろん、そうでなくても愛しい人を思い、すべてのものをしみじみといとおしく思える、そんな夜なら素敵ですね。

 

今宵は、天気もよさそうです。みなさんは、どんな想いで、月を眺めるのでしょうか。