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春秋の争い 秋はゆふぐれ~秋山われは~秋好中宮によせて


梅雨が短かった分、今年は秋雨が長くて、しかも日照時間が極端に少ない日が続いています。そして、先月までの台風ラッシュはすっかり鳴りをひそめ、早くも初冬を思わせる気温の日もあって、秋が短いと感じます。

 

「秋はゆふぐれ」は、『枕草子』での清少納言の言葉として有名です。高校で第一段「春はあけぼの。やうやう…」から暗記した方も多いのでは。春から始まっていますが、春については短く、夏、秋と字数が増えて、冬が最も長い記述となります。ただ、春夏秋と自然の鑑賞であるのに、冬だけは「火など急ぎおこして、炭持て渡る」と、人事が入ってきますから、自然に関しては、秋が一番長くなっています。清少納言も、秋という季節はお気に入りだったのですかね。

 

古くは、『万葉集』でも、春山の万花の艶(におい)と秋山の千葉の彩(いろどり)を競ったときの、額田王の和歌でも、判定は、秋でした。

 

さて、『源氏物語』の少女と胡蝶の巻に、光源氏の準正妻の紫の上と、かつての愛人の娘で養女の秋好中宮との、春秋の風流な争いがあります。紫の上が春推しに対し、中宮は秋推し。話の流れとしては、中宮が紫の上に勝ちを譲っています。

「風流」と書きましたが、さすがは「毒」を含ませる紫式部、よくよく考えると、そうでもないのです。舞台は、源氏の住まう六条院。ここは、南東の春の町に紫の上、北東の夏の町に源氏の嫡子夕霧の養母でもある花散里、南西の秋の町に秋好中宮、北西の冬の町に源氏の娘で後の中宮になる明石中宮の実母明石の君が、それぞれ女主人として据えられています。

『源氏物語』の正編では、幼少期からその死に至るまで源氏の傍らにあった紫の上がヒロイン扱いされることが多いように思うのですが、秋好中宮も幼少期から登場してきます。血筋も皇族の流れであることも共通、むしろ、秋好中宮は亡き東宮の娘ですから、紫の上よりも上でしょうか。紫の上が早くに源氏に引き取られて、その庇護の下で大きな苦労もなく生きていくのに対し、彼女は伊勢神宮の斎宮を任じられ、源氏との関係が切れた母とともに伊勢に赴き、いろいろな経験を重ねていきます。源氏が失脚し、須磨、明石に流された時期と同時期です。(源氏と関係があった母を失う点、地方で苦労して、都に戻って多くの男性たちに思われ、源氏に思いを寄せられたりもしながらも、最終的に安定した結婚生活を送るという点では、玉鬘との対比もできそうですね。)

さて、紫の上と秋好中宮の春秋の争いに先立つ薄雲の巻で、秋好中宮は春秋のどちらが好きかとの問いに、「母が亡くなった秋に惹かれる」との答えています。この答えに、彼女の意地を感じるのです。

源氏の元々の住居は二条院。この六条院は、六条御息所と言われた彼女の母の住まいを源氏が手を入れて、大邸宅にしたものです。つまり、六条院の正当な所有者は自分であるということから、単に自然を愛でるのではなく、わざわざ母を持ち出して、そう答えさせたと考えると、なかなか深い。全く財産もなかった紫の上に対し、その点でも、彼女は単に源氏の庇護を甘受するだけの立場ではないことを語っていることになります。この言葉をヒントにして、彼女の秋の町を基に、源氏が大邸宅としていくのですから。

後に、冷泉帝の退位に伴い、その正妻であり子どものない彼女がそれに従ったことで、六条院は、秋好中宮の里邸としての意味を失い、源氏の一族のものとなっていきます。そして、それと時を同じくして、かつて、生霊となって源氏の正妻葵の上を死に追いやった六条御息所の霊が、今度は紫の上を苦しめ、さらにこの邸宅での女三宮降嫁、そして、女三宮の出家と、まさに光源氏の人生を、盛りを過ぎた「秋」にしていくのです。

子供がなかった彼女ですが、紫の上が明石中宮の養母であるのと同じく、明石中宮の成人の裳着では腰結役をしています。運命に翻弄されながらの前半生と対照的に、冷泉帝からの愛情を受けて過ごす晩年は、実子がない分、より一層苦悩は少なかったかもしれません。

 

今日は夕暮れが美しく見られそうですね。