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ドラマ『ハケンの品格』~激動する日本の会社組織のあり方

13年前の『ハケンの品格』、DVD-BOXを買うほどにドはまりしていましたが、ここ数年、普段はほとんどテレビを見ない私も、とりあえず、第2シリーズも見ています。


印象としては、第1シリーズと比べて、笑えない、全体的なトーンが暗いです。笑えないのは、ドランクドラゴンの塚地さんに絶対的な愛嬌がないこと。大泉洋さんは、どんなにきついことをいっても「このくるくるパーマ」で愛嬌があったのに、それがないから、救いようがないのです。

それと、前作にいた板谷由夏さん的な女性社員がいなくて、フロアに同じような男性ばかりが多いのが、全体のトーンを暗くしています。小泉孝太郎さんは味方だけど、松方弘樹さんと比べると弱いので、余計に派遣の立場が守り切れない感じも。

なので、同じように振る舞っていても、篠原涼子さん演じる「大前春子」が余計に孤高に見えるのです。

それでも、第3話を見終えて、私は目が熱くなりました。

S&Fの営業第一課は、正社員と派遣で構成されていますが、今回は食堂のアルバイトの存在がありました。私は派遣の経験はありませんが、正社員、準社員(契約社員よりは少し待遇が上で、一応管理職)、契約社員(だけど管理職)、パート社員、アルバイトと、いろいろな雇用形態で働いていた経験があり、また、正社員(親会社からの出国)、総合職正社員(プロパー)、一般職正社員(プロパー)、出向社員(他会社から)、派遣とが、同じ会社の同じフロアに存在する(そのときは、私は総合職正社員(プロパー)でした)という、非常にそれぞれへの接し方が難しい状況の経験があります。

そして、わかるのです。もちろん、そういう人ばかりではないのですが、正社員の立場に胡座をかいて、大した仕事もせずに偉そうにしている人。

「バイトが、自分の仕事を愛してはいけませんか?」

そうなんだよ、そうなんだよ。すごい分かる!

ドラマの中では、カレー。カレーなんてどこにでもあるものだから、カレーを作るなんて、大したことがないと思われているけれど、そうではないのです(でなければ、専門店が存在するはずがない)。けれど、美味しいカレーが当たり前のようにあると、そのカレーの美味しさを作っている存在を忘れてしまう。特に現場から遠くなれば遠いほどに。

リストラで退職させたアルバイトが作っていたS&Fの社食のカレー。それは、まさに「仕事を愛した」結晶のカレーでした。カレー以外のメニューは、すでに外注した委託先のスタッフが作っていたのですが、カレーだけは、会社のアルバイトが22年間作り続けていたのです。

彼がいなくなった社食のカレーは委託先のスタッフが作るのですが、そこで作られたカレーは、時間と予算の限られる中で作った、元のカレーとは全く異なるもの。当然、評価はがた落ちです。

そこで、小泉孝太郎が、カレーマイスターの「大前春子(篠原涼子)」に、元のカレーの再現を頼むのですが(どこぞの記事で、小泉孝太郎が篠原涼子に頼むのは「のび太とドラえもん」と似ているとあったのですが、確かに苦しくなると篠原涼子に依頼する姿は、のび太と同じかも!?)、篠原涼子でも完全に再現できない。

それは、アルバイトの六角精児が早朝から材料を安く仕入れ、玉ねぎを炒めるだけで3時間かけるという、大きな「仕事への愛情」があってこそのカレーだったから。

六角精児から教えられた篠原涼子(教えられたときの篠原涼子の「変わってないなぁ、むっちゃん(六角精児)、23年前と」と、思わし口にするシーンがいい)が再現したカレーを社長の伊東四朗が評価したとき、篠原涼子は「これは、ダメなカレー」と言い放ちます。時間もコストもかかり、値段に合わない、そして従業員の「犠牲」でできているから、というのが理由です。そのアルバイトの噺を聴いた伊東四朗が「アルバイトだろう」と言うのに対して、「バイトが自分の仕事を愛してはいけませんか?」と、逆に問いかけたのです。

最終的には、社食では委託先のスタッフが値段を上げて再現されたカレーを販売しますが、値段を上げても人気となります。

一方、アルバイトだった六角精児は、会社からの「待遇を改善するから戻ってきて欲しい」という話を断り、「多くの人の笑顔が見たい」と、相変わらず、採算ギリギリと思える安い値段で、組織から離れ自分でカレー弁当を売ります(ここ、すごく分かるし、納得なんだよなぁ)。

そこに篠原涼子登場。「スーパー派遣さんは、200円引き!」と声をかける六角精児に対して、篠原涼子の「ありがとう! でも、今日はサバ味噌!」と返すのもいい。六角精児のカレーは、そんなに安いものではないと考えるからこその、値引きしては買わない篠原涼子の姿が「正当な商品、サービスの対価としての正当な価格、報酬」ということの主張と考えました。

このシーンで、思わず、目が熱くなったのです。


もちろん、アルバイトで「お時給」のためだけに、そこそこ働く人が多いのも事実です。時間さえいれば時給がもらえるのだから、余計な仕事をしないというのも、考えとして間違っているとは言えないです。

それは、他の仕事でも同じで、現場でどんなにいい仕事をしても、「雲の上」には伝わらず、「所詮、バイトの仕事、誰がやっても同じ」と思われてしまうのです。だから、アルバイトを「人」ではなく、単なる「代替のある労働力」と見る「雲の上」の人が多い。


最近の話では、アルバイトではないですが、東京女子医大で、夏のボーナス不支給で、2割に当たる約400人が退職希望、これに対して、病院側は新年度350人の大量採用の募集をしていることも、「看護士を人でなく、単なる労働力」と見ている大学病院の視線と言えるかもしれません(こういう荒んだ病院には行きたくないなぁ…)。


格差社会とは「階層社会」です。「階層」が離れれば離れるほど、特に下の階層への理解がなくなっていくように思います。

そういえば、セーフティネットから漏れ、ホームレスとなった人々を取材した記事に、こんなものがありました。


「公園、駅舎よりも、河川敷のほうが“ベテラン度”が上がるんです。ホームレス生活が長くなればなるほど、人の社会からどんどん離れていくんですね。ホームレスは、街に寄生するのが特徴なんです。公園や駅舎は街そのものですが、河川敷までいくと、街に寄生しつつも独自の社会というか、不法滞在のスラム街に近くなります。場所によっては家庭菜園をやっていたり、そこが好きだから住んでいるという人もいます。(中略)彼らが幸せそうに暮らしているのを見ると、一般人が怒るんだそうです。毎日イヤな思いをしながら仕事して生活している俺より、なんでこいつらがこんなに幸せそうなんだ、って。不幸なら許してやるけど、自分より楽しそうというのが我慢できないという心情なのでしょう。」


だったら、会社辞めて、ホームレスになって、河川敷で暮らせばいいじゃん!って、私なら思います。いろいろな事情で働けなくなり、さらに福祉に頼ることもできない人々がたどり着くホームレス生活。そこで、「普通の人々」に迷惑をかけないように生活している人が「生きる」ために、小さな喜びを見つけていくことを「怒る」「普通の人」。「怒る」対象の方向が間違っていると思うのは、私だけでしょうか?


話が逸れてしまいましたが、第4話は、今夜(7月8日)22時からです。


#ハケンの品格

#大前春子