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尾崎豊『Forget-me-not』~物語は悲しくても

暗黒三部作を書こうとしていたのだが、どうしても筆が進まず、しかも「男性シンガー、男性グループの曲のレビューが見たい」というリクエストもあって悩んでいたときに、ふと浮かんだフレーズ「狂った街では」。尾崎豊の声なのは確かだが、どの曲だったか?と調べて出てきたのが、この曲。

実は飲んだくれ時代、ここぞというときに歌ったのが尾崎豊の『I LOVE YOU』で、他に『シェリー』『僕が僕であるために』あたりも度々歌っていた。尾崎豊の音域と私の音域が似ているので歌いやすいのと、尾崎豊が割と音程から「ズラして」歌うので、あまり音程を気にせずに歌える(私は正確な音程で歌うのが苦手である。俗にいう音痴とまではいかないが、採点で得点を出すとそこそこ止まりである)という理由がある。

 

ライターとしての尾崎豊にばかり注目が集まるが、実はシンガーとしてもすごい才能の持ち主だと私は思う。まず、声質がいい。中低音での響かせる声が変に濁らず、とても豊かである。また中高音の自然に声量を出せるゾーンでは、声量が増幅していても声が透明なまま。それと、ライブで絶唱の結果、高音が割れても、逆に息を多く含ませて囁くように歌っても、はっきりと日本語が聞こえる。尾崎豊の発音の明瞭さは、特筆ものであって、歌詞カードなしでも言葉が分からないことは、まずない。

さらに言えば、この人は「歌う」のではなく「伝える」。もちろん、そこにはメロディが存在するのだけれど、いわゆる「歌の上手さ」を全く意識せずに、表現者として声を発する。

 

この『Forget-me-not』であるが、穏やかで優しい前半に対し、同じメロディにも関わらず後半は生々しい息遣いがはっきりと分かる、地声高音域ギリギリまでを攻めた歌唱である。


 Forget-me-notの形で忘れな草の固有名詞であるが、Forget me not.は英語古文の形で、Don't forget me.とほぼ同義。中世ドイツの悲恋の伝説に由来していて、日本では明治時代にその訳からこの名前となったものである。花言葉はそのまま「私を忘れないで」と「真実の愛」がある。

ところで、この忘れな草、実際に観たことがある人、どのくらいいるのだろうか? 名前は有名だけれど、現物を知っている人はそんなに多くはないように思う。

見た目は、申し訳ないけれど、その辺の雑草のような感じで、そこに小さな空色の花がつく。花は春に咲いて、本来は多年草なのだけれど暑さに弱いので、ほとんどのところでは夏には枯れてしまう。群生するとそれなりにきれいだけれど、グランドカバーに使われるくらいで、そんなに華やかな花ではない。

この曲のオリジナルは、サードアルバム『壊れた扉から』に収録。『壊れた扉から』は尾崎が十代のうちにということで、発売日は尾崎の20歳の誕生日の前日1985年11月28日と決まっていたが、このアルバムに入れるバラード曲の歌詞がレコーディング期限の25日までできず、歌詞のないデモテープを聞いたプロデューサーの「小さな花のようなイメージ、勿忘草」という言葉から、夕方にスタジオを出て、翌26日朝早くに完成させ戻ってきた尾崎が、そのまま2回歌い、その1テイクを使ったという話が残っている。また、スーツにネクタイ姿でレコーディングした唯一の曲であると語られている。

尾崎のラブバラードだと、ファーストアルバム『十七歳の地図』収録の『I LOVE YOU』『OH MY LITTLE GIRL』が有名だけれど、この『Forget-me-not』も同じ系列に含めることができると思う。「ベッド」で寄り添うのは『I LOVE YOU』と同じで、「街」にたたずむのは『OH MY LITTLE GIRL』と同じ。ただ、『十七歳の地図』収録の2曲では、相手の「おまえ」「きみ」が、「何度も『愛してる?』って聞」いたり、「僕にくちづけせが」んだりするのに対し、この曲では「幸せかい?」と主人公が相手に問いかける。立ち位置が逆になっているのがポイントである。

 

サビ「初めて君と出会った日 僕はビルのむこうの空をいつまでもさがしてた 君がおしえてくれた花の名前は 街にうもれそうな小さなわすれな草」

このフレーズだけで、もう絵が浮かぶ。季節は春、ビルの立ち並ぶ都会の片隅にいる主人公、その少し霞んだ青空と足元にその色と同じ小さな花。「あ、踏まないで。この花、忘れな草」と教えられて「えっ、これが忘れな草?」と驚く様子が画像としてすぐに浮かぶ。

ただ、この曲、やはり2コーラス目に入ると、「えっ!?」というひっかかるところが出てくる。1コーラス目だけだと、普通に幸せそうな風景なのだが、いきなり「時々愛の終りの悲しい夢を君は見るけど」とくる。それに対して「僕の胸でおやすみよ 二人の人生わけあい生きるんだ」と主人公は返す。返すのだけれど、「愛の行く方に答はなくて いつもひとりぼっちだけど」。二人でいるのに「ひとりぼっちだけど」である。

もう1つ「時々僕は無理に君を僕の形にはめてしまいそうになるけれど」とあるのも、この二人が元々別の世界で、別の価値観で生きる人間であることを感じさせる。

 

「行くあてのない街角にたたずみ 君に口づけても 幸せかい 狂った街では二人のこの愛さえうつろい踏みにじられる」そうなのだ、この物語はずっと二人でいられないことが分かっているのだ。「時はためらいさえも ごらん愛の強さに変えた」とあるのは、二人でいることではなく、二人でいたことが、それを忘れないことが「愛」なのだということなのだろう。

 

こう考えたのは、尾崎豊がスーツにネクタイ姿でレコーディングを臨んだということからである。この曲の主人公はたぶん、高層ビルのオフィスで働く、いわゆる普通のサラリーマンを想定しているのだろう。だから、尾崎豊はその姿でレコーディングしたのだと思う。と、同時にその相手である「君」も尾崎自身であろう。立ち位置を逆にしたことで、この相手こそが、尾崎豊自身、名門青山学院の高等部を中退し、アーティストとして「縛られない」生き方を選んだ彼は、まさに普通のサラリーマン、「僕の形にはめてしまいそうになる」とは相容れないものである。それゆえ、このふたりがずっと一緒にいる未来はないという繋がりになっているのだろう。

春に咲いて夏に枯れるこの花は、若さの中で開き、そして大人になったときに枯れる。それでも、この花は「真実の愛」であり、「僕を忘れないで」であり、「君を忘れることはない」である。

 

締切ギリギリで、この素晴らしい作品を生み出した尾崎豊の、創作者としての、ある意味「頂点」であった。この曲はオリジナルももちろんいいのだが、翌々年のツアーでの熱唱がすごい。スタンドマイクの前に、ある意味無防備に立つ尾崎豊の、特に声を割りながらの絶唱は、確かに一緒にいる幸せを失った悔恨と同時に、この、出会い、ともに過ごした幸せを、未来永劫忘れることはないという決意を感じさせるに余りある。 

皮肉なことに、既成概念に囚われた大人たちの社会への反抗を歌った尾崎豊は、このアルバムで大人のビジネスに巻き込まれ、発売日に合わせた制作活動を強いられることになった。社会への反抗を歌うために、社会に合わせなければならないという矛盾は、20歳を迎え大人になってしまった彼自身の矛盾となり、「頂点」を極めてしまったゆえのその後の低迷、そして、薬物使用、早逝という悲劇、そしてカリスマとして伝説となった。矛盾を抱えたまま生きるには、彼は繊細で、真面目に自分と向かい合いすぎたのかもしれない。

 

まだまだ若かった彼に対して、ビジネスとして、カリスマとしてのライターを要求していく「大人たち」の中に、長い目で彼の行く末を考え、シンガーとしての表現力のさらなる向上のために、他者提供の楽曲を歌うことを強く勧める人がいたら、どうだっただろう。真面目な彼のことだ。どう解釈し、どう表現するか、真剣に向き合い、素晴らしい歌い手としての圧倒的存在感を出せていたのではないか。あるいは、ミュージカルでもいい。全身を使って表現するという方向でも、彼なら結果を出せていたのではないか。

 

すべては「たられば」である。無限の可能性を残したまま、天才はこの世から姿を消してしまった。

 

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