仕事では政治的な発言は控えるようにしているのだが、政治的な面を除いて文化として見て、いかがなものかという思いが沸いている。Twitterでも書いたのだが、即位礼正殿の儀の総理夫人の姿が、どうしても納得できない。
別に私は天皇を崇拝するほどの皇室至上主義ではさらさらないが、日本伝統の儀式に列席する姿として見たときに、あの服装はひどい。
儀式として見た場合、女性で一番身分が高いのは新皇后陛下で、次が皇嗣妃殿下、皇嗣娘の内親王殿下、以下成人女性皇族の方々と続き、女性皇族方は全員が十二単の正装である。諸外国からの来賓も民族衣装であってもその国の正装であり、それ以外も正装たるロングドレス。
そこに安倍昭恵(あえて呼び捨て)の膝出し姿が全世界にというのが情けない。百歩譲って、これが20歳そこそこの女性が美脚を披露であったとしても、儀式にはそぐわない。
すぐに浮かんだのは、『枕草子』278段「関白殿、二月二十一日に」の積善寺での法要の話である。関白藤原道隆が、亡父兼家が自宅を寺にして作った法興院の積善寺という堂で、一切経供養の法会を開催したとき、妹であり一条天皇の母である東三条院詮子(女院は上皇と同じ待遇)、娘であり一条天皇中宮(中宮は皇后と同じ)定子が参列した。会場には、先に東三条院が入り、中宮が後に入るのだが、これはもちろん、皇后待遇が身分が高いからである。この女院と中宮のお迎えのお供にいたのが、道隆の弟で中宮大夫道長なのだが、中宮のお迎えが予定よりも遅れたのは、「女院のお供に着て見られている同じ下襲(男性の正装の束帯で後ろ身頃が長く引き擦るもの)では大したことではないと思われそうで」ということで、わざわざ下襲を替えていて遅くなったというエピソードも。道隆は中宮の側にいて、途中、女院に挨拶に行って戻ってくる。
さて、会場では中宮の妹たちの東宮居貞親王妃、敦道親王妃(三の君)、御厘殿別当(四の君)はもちろん、中宮も正装(十二単で唐衣と裳)であった。ところが、道隆の妻の高階貴子が略装(小袿と裳)でいたため、道隆が慌てて三の君と四の君に中宮の裳を外させようとしている件がある。
なお、当然、筆者清少納言も着なれない正装で、法会の終了後に中宮が里邸に戻らず、急遽、内裏に参内するのに従い、内裏で着替えが届かずに「気が利かない」と翌朝まで正装のままで疲れて苛々している。裳は、自分よりも身分の高い人の前では必ず着用が原則で、例えば急な天皇のお出ましのとき、女房たちが慌てて裳を着ける話が他の章段にある。
貴子が関白の正妻であり、中宮の母であっても、中宮よりも身分が低いのであるから、中宮に正装をさせつづけるのはルール違反ということである。(当然、この話は女院にも面白いはずがない。)
さて、これは千年前の話ではあるが、「即位の礼」を政治的側面を排除して考えると、ある意味、日本という国の伝統文化的意義の強いものと考えられる。皇室という日本の伝統に対し、諸外国からの来賓も敬意をもって参列しているのである。
そこに、日本の総理夫人があの姿!?
教養がないとしたら恥ずべきことであるし、分かっていてやったなら、日本の伝統を馬鹿にしているか、総理夫人であることに増長しているということで、国民からすればもっと恥ずかしいことであると思う。
誰か身近にちゃんと意見する人がいないのか?
こういう意見は、今のマスコミは知らぬ振りでスルーするんだろうなぁ…。