ご無沙汰になってしまいました。
ブログの更新が滞っていたのは、税務署関係の書類作成提出で頭が一杯だったのと、珍しく体調の大崩れがなくて故障部位もなく、薄着の季節に向けての筋トレが捗っていたからです。
すみません…。
今日は雪の予報も出ていますね。今の暦では1月31日ですが、旧暦では12月26日となります。
夜もすがら ちぎりしことを忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき
百人一首は、藤原定家が選んだお正月の定番ですが、百人一首には入らず、定家が選んだ同じような歌集の百人秀歌に選ばれた一条院皇后宮、中宮定子の崩御のときの歌です。ベースにあるのは白楽天の『長恨歌』で、涙の極みは血の涙、私を想って流す涙のその色が見たい、知りたいということです。 皇后宮、中宮と重ねて書いたのは、最初は中宮であった定子が、藤原道長の娘、彰子の中宮冊立によって皇后宮とされた(一帝二后)からで、一条天皇の中宮とだけあれば、彰子のことになります。なので、定子は皇后宮と称される訳です。そうなんですけれど、清少納言の『枕草子』に登場する定子は、私にとっては中宮なんですよね。なので、中宮定子と書いています。
『枕草子』で有名な章段に、「香炉峰の雪」の謎かけのエピソードがあります。中宮定子が「香炉峰の雪はどうなのかしら?」と問いかけた際に、清少納言が御簾を上げて外の雪をご覧にいれた、それを称賛されたという話。これも『白氏文集』の「香炉峰の雪は簾をかかげて見る」からの引用です。(こういうのが、自慢っぽくて嫌、という方もいるとは思うのですが、たぶん、自慢のために書いたものではないです。これは長くなるので、いずれまた。)
他にも、大雪の降ったときに雪山を作り、それがいつまで残るかと予想して、さらにその後の顛末のエピソードも『枕草子』にあります。(これは、ものすごく深い話になるので、これもまた改めて書きます。)
さて、『栄華物語』に、中宮定子の葬儀が行われた日も雪だったとの記載があります。葬列に加わっていただろう清少納言は、その雪をどんな想いで見ていたのでしょうか。 『枕草子』の「降るものは」の章段でも、真っ先に「雪」とあります。『枕草子』の成立については、清少納言が中宮定子のもとに仕えていた時期に書いていたのは確かですが、宮仕えを終えた後にも加筆修正があったという説が強いです。「降るものは、雪。」あの楽しかった日も、あの悲しい日も雪…この一節に込められた清少納言の想いを考えると、ときに目が熱くなります。
中宮定子陵は、京都市の東南、泉涌寺の裏手の山の中腹に、京都市内を眺めるようにあります。泉涌寺には清少納言の歌碑があって、晩年の清少納言はこの近辺に住んでいたと言われています。京都市街を挟んで反対側、北西の龍安寺の裏手の山頂には一条天皇陵があり、まるで向かいあっているかのようです。清少納言はかなり長生きしたようですから、中宮定子陵から一条天皇陵を眺め、晩年、あの日々を思い出して過ごしていたのではないかと思います。
今夜は雪になるのでしょうか。中宮定子崩御は12月16日、葬儀は12月27日、旧暦の明日がその日に当たります。